私の就職過程(しくじりからの教訓)
1)背景
まず私のプロフィルを簡単に紹介しますと、2012年浙江省のある重点高校を卒業したあと、毅然と日本に留学することを決めました。
最初の2年間は東京にある中国人向けの日本語学校で日本語を学びました。
その時の私は、「就職」という言葉に漠然とした印象しかありませんでした。
家族に恥をかかせない様に有名な大学に入るという目先の目標しか持っていませんでした。そのとき目指したのは東京とさほど離れていない早稲田大学と横浜国大でした。
二つの難関大に近づく為に留学生試験を三回受け、成績刷新に励んできました。
それと、文系科目と数学の成績を全国トップまで引き上げることに成功しました。
しかし、ほんの少しの進歩で晴れた気持ちがすぐ雲に覆われました。
日本語科目は3回とも平均点ほどの低水準にとどまり、全く進歩できませんでした。
それどころが、好きな科目だけ重点的に勉強した結果、科目ごとの勉強時間はアンバランスとなり、前から計画したトーフルの勉強もスケジュール通りにいかず、試験準備に間に合わなくて、受けずに諦めました。
最後に、文系科目と数学優位のおかげで、幸いに同志社大学と中央大に合格しましたが、今から振り返れば、「トーフルは早い段階で勉強して中国でも取っておければ」という悔しいところもあります。
しかし後悔しても無駄です。
ちゃんと志望大学の入試条件を確認しなかったのは自分で責任を取らなければなりません。
しかし今回大学の話をここに持ち込んだのは、この経験談を通して後輩の皆さんに「就職にあたって、名門大は確実に有名企業に繋がる踏み台の役割を果たしてくれます。」とのことを伝えたいです。
もし近い将来人工知能がHRの代わりにあなたのエントリーシートをチェックする様になったら、不幸に大学名が選別の基準になっているかもしれないです。そのため「大学名が持つ意味」そこだけ心に留めていただきたいです。
2)インターシップ
大学三年春学期の三月から翌年の三月まで各企業がインターシップを手掛けるところ、日本の就学生も動きだしました。
このとき、私も「日本に就職するか、帰国するか」と迷い始めました。
何と言っても残りの大学生活は一年ほどしかありません。
どの道を進むのか明らかにこれからの私の運命を変えていきます。
日本での就職と本国での就職の見通しと生活スタイルを比較したあと、私は日本での就職を選びました。
理由はごく簡単です。
中国で就職しようとしても周りに資源(ルートや情報など)がありません。
今から振り返ったら「日本の残る」の決断を押してくれたのは、「本国に資源が備わってない」の理由が大きかった。
少し現実に迫られた気味もありますが、「まるで運命的だな」とプラスに感じる時もありました。
それとちょうどそのとき、同級生の中に同じことを考えた中国留学生の友達もいました。
二人で早い段階で就活情報を収集し、京都大学で開催された企業合同説明会にも参加して、そこである程度就活の流れや日本企業についてイメージが付きました。
しかし初めて合同説明会に参加した直後の感想はそれだけではなっかた。「異なる大学の就活資源がこんなにも違うんだ、ハイレベルの京大にこんだけ有名企業が集まってくる」と凄くショックを受けました。
それと共に、「やや普通な大学の平凡な私」という劣等感と危機感も日増しに増えていきました。
そんなプレッシャの中に、インターシップの時期を迎えてきました。
急いで何十社に応募して、当たるところは一つもなかった。「当然です。有用無謀の結果だ」と自分がわかっても不安が止まらない。
するとしばらく心を整えて、少しずつネットで情報収集したり地道な準備をしたりして、ようやくチャンスが訪れてきました。
ある留学生就職支援機構を通じて、東レのインターシップに合格しました。「やっときた!」という感じでした。
「努力と情熱は必ず報われる」という言葉に感激します。
3)文系のあなた、何に向いてる?
東レのインターンシップは強心針の様に、私を劣等感のコンプレクスの淵から救い出された。
ただ、今回のインターンシップは私に自分に合う明確な就職道を示してくれなかった。
工場見学や座談会、グループワークを含めた7日間のインータシップで、100年間、繁栄と衰退を繰り返し、試練と立ち直しを重ねて現在繊維業界一位まで歩いてきた東レの文化的技術的な強さを目で肌で確かめた。
文系出身の私は「炭素繊維は技術構造面でどれだけ素晴らしいものなのか」は十分に理解できなかったが、ただ
社員の人格的魅力によく感動した。
座談会で今後の事業展開について「総理より権威的、先生より親切」の様な話し方で講話してくださった部長の二人の話は私の心を熱くした。
豊富な経験や多彩なバックグランドを持つ人間こそ、淡々とこういう心に響く豊かな発言を言えるだろう。その時、将来彼らの様な人間になりたいと理想な人物像を見つけた様な嬉しさだった。一向、決意を揺らぐことなく東レを第一志望に立てた。
東レに行く為に、30社の繊維と化学メーカーに応募して、企業研究と業界研究を尽くた。
人事、会計、営業、企業の需要に合わせてエントリーシートを数十通り準備した。
1次、2次、3次、最終面接の循環を20回ほど繰り返したが、全てクリアしたのは一社もなかった。
管理層との面接の中で、私が語ったこじつけ的な理屈や膨らんだ夢それと自信のある情熱、全て通らなかった。
それほど準備しても実績がないと厳しい世界だ。
東レのインターンシップに合格したのは運だけかもしれない。
以前合同説明会で繊維大手と聞いて興味あった為、香港に旅行した時に、そこにある東レのアジア統括会社もついでに見に行った。その話をインータシップの面接に持ち込んで情熱をアピールし、合格に役立ったかもしれませんが、しかし本番の新卒採用の2次面接で、キャリア像と性格、能力の問題を聞かれた際にうまく答えなれなかった。
根っこは「自分の情熱の裏付けとなり、語る価値のある経験談が少ない」という事実だ。
情熱はあなたが大手や先進技術のあるメーカーに対しての憧れだけだ。
文系のあなた、技術のないあなた、メーカーでのポジションがどこにあるのか、あの時私は深く考えなかった。
「そもそもメーカーは大体ジョブローテーション制度があるから、新卒に専門性を求めてる訳でもないし、なんでもチャレンジする姿勢を示したら、通れる」と甘く読んでいたのが失敗の発端だ。
「技術に憧れがあれば、どうして高校の時理系に行かなかった?どうして大学の時転学部しなかった?」「コミュニケーション能力と体力に自信がなかったら、そうして無理やり営業にこだわる?」、単純にコミュニケーション能力を鍛えたいから営業やりたいとの一点張りでは厳しい世界のどこにも通用しない。豊富な経験を有する管理層は往々にして若者を厳しく見ている。「面接中私が見栄え良く見せる為についた小さな嘘を見抜かれた後でも、何も指摘してくれないまま話をはぐらかす、あるいはギュウギュウと追い詰めてくる」それは終わりの兆しだ。
4)終わりに
30回失敗した後、私はようやく自分が何に向いてるのかがわかってきた。小さい頃から理科が文科より好きだ、成績も理科の方が断トツいい。文科を選んだのは理科の宿題を逃げる為だけだった。自分を再認識した後、私の自分の技術魂の存在を証明する為にIT業界に目を向けた。
すると、再出発の1件目の応募で運よく合格した。何より自分の判断は間違ってないと確信した。
振り返って見れば、私の就職は「散々壁にぶつかって自分を再認識して今の自分に適する職場を見つけ出す」過程であった。
その過程は「自分を否定、自分を肯定」といった自己修正力を繰り返し試された試練でもある。
文系にとって、就職は長期戦になる可能性が高い、理想の高い人は、理想と現実の差を十分認識できないのは危険がある。なるべく初期段階で多く面接経験を積んで、自分を再認識、自己修正を重ねることがそのギャップを早く埋める上で重要な行動だと私の経験からみなさんへのアドバイスだ。就職の目標は「内定の数ではないく、自分に最適な場所を見つけ出す」ことだ。
以下中国語翻訳
我的日本就职历程(失败后的教训)
1)背景
先说一下我的求职背景吧。2012年浙江省一所县级重点高中毕业之后毅然决定来日本求学。头两年在东京一所中国人的语言学校学习语言。当时我对就职几乎是没有概念的,想法也比较单纯:考一所好一点的大学,起码回国也能也能有人知道。
当时考虑的两所学校分别是早稻田和横滨国立,为了能从一个成绩平平的高中生成功越位到日本顶尖大学,我也是拼劲全力刷了三次留学生考试(针对留学生的统一大学入学考试),成功将文综和数学刷到了全国20以内。
但是正当我窃窃自喜的时候,突然就来了一个晴天霹雳。留考的日语科目三次都不仅没有刷出好成绩,甚至可以说非常糟糕,除此之外过度偏科,时间分配不均也导致,本来要筹备的托福考试到最后也没有去考。最终还是因为文综和数学优势合格了同志社大学和中央大学(相对门槛不高)
后来我发现几乎80%的知名大学的热门专业都需要提交托福成绩的时候真的是欲哭无泪啊。或许你认为考大学和就业没什么直接关系,但是无可置疑的是一所好的大学绝对会在将来就业的时候给你提供一个更好的平台。毕竟将来企业用电脑程序去刷你的履历书的时候,万一因为学校名不在范围内可能就直接out了。
2)实习
大三上学期夏季到大三下学期冬季(日本学生的实习期),这个时期我开始思考到底是留日还是回国这个问题了,因为毕竟还有一年多就要毕业了,回国还是留日很大程度上都会决定我人生发展的方向。对比一下发展前景和生活环境以及回国后的就职资源以后(其实可以说毫无资源)我还是决定留日了。
现在回想一下,如果在决断上有一丝动摇,也许在面对就职挫折的时候我可能就放弃了,所以回国也无路可走的现实可能是我留日的最大原因的吧。有一点现实所迫的滋味,不过也庆幸这个上天的安排。
好巧当时同年级有另外一位同学也决定在日本就职,所有我俩就结伴收集情报,在大三上学期参加了一个在京都大学举办的些针对留学生的企业合同说明会。也在同说明会中大致了解了一些日本知名企业和就职流程。其中就包括后来要提及的东丽公司。话说回来参加完这次活动之后最大的感受就是不同大学的资源差距真的是相当可怕的呀。
京大的level给了我一记响亮的巴掌,同时作为平平无常的无所作为的私立大学的大学生的自卑和危机感也日益剧增。在这种心理压迫之下,我尝试投机报考了很多大企业的暑期实习,但都是有勇无谋,无果而终。想想也是杀猪还要磨刀呢,什么准备都没有空投简历注定失败啊。但是好事多磨好在经过半年的平复和准备,在大三下学期的冬季通过留学生的就职支援机构报考并成功合格了东丽公司的一周实习机会。虽然在报考实习的过程中绊倒过10多次,但最后一次的收获也颇为惊喜。
3)文科生的你倒是适合做什么
得到东丽公司的实习机会对我来说就像是一剂强心针,把我从自卑和不自信的深渊里解救了出来。但是这次经历并没有给我指出一条明确的求职的道路。7天的实习让我见识到了有近100年历史的深厚的文化底蕴,几经挫折又屹立重生的纤维大手东丽公司的强大。虽然我不是理科生不懂得碳素纤维到底为何强大,但期间两位部长座谈会时比总理更亲切,比老师更有威严的优雅敏锐的讲话方式,深深触动到了我。只有经历过大风大雨的人才能平静的说出那些震慑人心的语言,东丽公司存在者这些我的(偶像)。那一次实习结束之后,我梦想着有一天能够成为站在她们身边,成为东丽的一员。
为了去东丽,为了做尽企业研究和行业研究,我报了近30家化学和纤维大手。应聘过人事,会计,营业。修改了无数次履历书和应聘动机,走到过2面,3面与年轻社员侃侃而谈,但到了终面与那些大人物的对话中我的所谓的理想和热情却显得有些幼稚和无趣。能够得到东丽的实习也许是幸运,因为我早就对东丽有所耳闻,在香港游玩的时候也顺道拜访的他在香港的亚洲统筹公司。这些准备工作为我打开了实习的大门。但是,即使做了那么多企业研究,即使面试是做了各种对策,在新卒採用の第二次面试中,在职业规划以及一些性格能力问题上的回答上还是缺少逻辑性,没有作出一个令人满意的回答。从此就这么失之交臂了。
4) 总结
热情的根源是你对大手和有先进技术的公司的向往。但到底文科生的你到底适合做什么,当时的我没有明确的人生规划。
天真的认为什么都阻挡不了你的热情,殊不知如果你向往技术,认为技术进步才能使人类进步,那么你问什么不读理科呢,如果你不善言谈,没有足够的体力那为什么你要去营业呢。这些最简单最基本的逻辑思维被我轻视忽略了。失败其实也无可厚非。那些有丰富阅历的人往往比年轻人的思想更成熟。我那苍白的履历和幼稚的逻辑在最终面试的面试官那里肯定难逃火眼晶晶。
经过30多次的失败我终于想通了。高中时,理科成绩比文科成绩好,仅仅是想逃避繁重的作业,高三我才选择了想对轻松的文科。但现在看来是一个巨大的错误。我可能还是更适合做一名技术人员。所以我转行去IT了,成功合格了报考的第一家一家IT公司,现在我给自己定下的目标是,3年后变成更出色的自己。
最后我想通过我的经历告诉大家,物尽所用,人尽所长。你一定要在了解自己的长处上找到能发挥自己长处的位置,人事,会计,营业,技术职每一个职位的属性都不尽相同。分析一下你到底适合的是什么职业什么行业,有时候你想做的事情其实并不一定就适合自己。
最后欢迎大家也留下自己的见解,说说你的经历,让我们可以共同进步。
1)背景
まず私のプロフィルを簡単に紹介しますと、2012年浙江省のある重点高校を卒業したあと、毅然と日本に留学することを決めました。
最初の2年間は東京にある中国人向けの日本語学校で日本語を学びました。
その時の私は、「就職」という言葉に漠然とした印象しかありませんでした。
家族に恥をかかせない様に有名な大学に入るという目先の目標しか持っていませんでした。そのとき目指したのは東京とさほど離れていない早稲田大学と横浜国大でした。
二つの難関大に近づく為に留学生試験を三回受け、成績刷新に励んできました。
それと、文系科目と数学の成績を全国トップまで引き上げることに成功しました。
しかし、ほんの少しの進歩で晴れた気持ちがすぐ雲に覆われました。
日本語科目は3回とも平均点ほどの低水準にとどまり、全く進歩できませんでした。
それどころが、好きな科目だけ重点的に勉強した結果、科目ごとの勉強時間はアンバランスとなり、前から計画したトーフルの勉強もスケジュール通りにいかず、試験準備に間に合わなくて、受けずに諦めました。
最後に、文系科目と数学優位のおかげで、幸いに同志社大学と中央大に合格しましたが、今から振り返れば、「トーフルは早い段階で勉強して中国でも取っておければ」という悔しいところもあります。
しかし後悔しても無駄です。
ちゃんと志望大学の入試条件を確認しなかったのは自分で責任を取らなければなりません。
しかし今回大学の話をここに持ち込んだのは、この経験談を通して後輩の皆さんに「就職にあたって、名門大は確実に有名企業に繋がる踏み台の役割を果たしてくれます。」とのことを伝えたいです。
もし近い将来人工知能がHRの代わりにあなたのエントリーシートをチェックする様になったら、不幸に大学名が選別の基準になっているかもしれないです。そのため「大学名が持つ意味」そこだけ心に留めていただきたいです。
2)インターシップ
大学三年春学期の三月から翌年の三月まで各企業がインターシップを手掛けるところ、日本の就学生も動きだしました。
このとき、私も「日本に就職するか、帰国するか」と迷い始めました。
何と言っても残りの大学生活は一年ほどしかありません。
どの道を進むのか明らかにこれからの私の運命を変えていきます。
日本での就職と本国での就職の見通しと生活スタイルを比較したあと、私は日本での就職を選びました。
理由はごく簡単です。
中国で就職しようとしても周りに資源(ルートや情報など)がありません。
今から振り返ったら「日本の残る」の決断を押してくれたのは、「本国に資源が備わってない」の理由が大きかった。
少し現実に迫られた気味もありますが、「まるで運命的だな」とプラスに感じる時もありました。
それとちょうどそのとき、同級生の中に同じことを考えた中国留学生の友達もいました。
二人で早い段階で就活情報を収集し、京都大学で開催された企業合同説明会にも参加して、そこである程度就活の流れや日本企業についてイメージが付きました。
しかし初めて合同説明会に参加した直後の感想はそれだけではなっかた。「異なる大学の就活資源がこんなにも違うんだ、ハイレベルの京大にこんだけ有名企業が集まってくる」と凄くショックを受けました。
それと共に、「やや普通な大学の平凡な私」という劣等感と危機感も日増しに増えていきました。
そんなプレッシャの中に、インターシップの時期を迎えてきました。
急いで何十社に応募して、当たるところは一つもなかった。「当然です。有用無謀の結果だ」と自分がわかっても不安が止まらない。
するとしばらく心を整えて、少しずつネットで情報収集したり地道な準備をしたりして、ようやくチャンスが訪れてきました。
ある留学生就職支援機構を通じて、東レのインターシップに合格しました。「やっときた!」という感じでした。
「努力と情熱は必ず報われる」という言葉に感激します。
3)文系のあなた、何に向いてる?
東レのインターンシップは強心針の様に、私を劣等感のコンプレクスの淵から救い出された。
ただ、今回のインターンシップは私に自分に合う明確な就職道を示してくれなかった。
工場見学や座談会、グループワークを含めた7日間のインータシップで、100年間、繁栄と衰退を繰り返し、試練と立ち直しを重ねて現在繊維業界一位まで歩いてきた東レの文化的技術的な強さを目で肌で確かめた。
文系出身の私は「炭素繊維は技術構造面でどれだけ素晴らしいものなのか」は十分に理解できなかったが、ただ
社員の人格的魅力によく感動した。
座談会で今後の事業展開について「総理より権威的、先生より親切」の様な話し方で講話してくださった部長の二人の話は私の心を熱くした。
豊富な経験や多彩なバックグランドを持つ人間こそ、淡々とこういう心に響く豊かな発言を言えるだろう。その時、将来彼らの様な人間になりたいと理想な人物像を見つけた様な嬉しさだった。一向、決意を揺らぐことなく東レを第一志望に立てた。
東レに行く為に、30社の繊維と化学メーカーに応募して、企業研究と業界研究を尽くた。
人事、会計、営業、企業の需要に合わせてエントリーシートを数十通り準備した。
1次、2次、3次、最終面接の循環を20回ほど繰り返したが、全てクリアしたのは一社もなかった。
管理層との面接の中で、私が語ったこじつけ的な理屈や膨らんだ夢それと自信のある情熱、全て通らなかった。
それほど準備しても実績がないと厳しい世界だ。
東レのインターンシップに合格したのは運だけかもしれない。
以前合同説明会で繊維大手と聞いて興味あった為、香港に旅行した時に、そこにある東レのアジア統括会社もついでに見に行った。その話をインータシップの面接に持ち込んで情熱をアピールし、合格に役立ったかもしれませんが、しかし本番の新卒採用の2次面接で、キャリア像と性格、能力の問題を聞かれた際にうまく答えなれなかった。
根っこは「自分の情熱の裏付けとなり、語る価値のある経験談が少ない」という事実だ。
情熱はあなたが大手や先進技術のあるメーカーに対しての憧れだけだ。
文系のあなた、技術のないあなた、メーカーでのポジションがどこにあるのか、あの時私は深く考えなかった。
「そもそもメーカーは大体ジョブローテーション制度があるから、新卒に専門性を求めてる訳でもないし、なんでもチャレンジする姿勢を示したら、通れる」と甘く読んでいたのが失敗の発端だ。
「技術に憧れがあれば、どうして高校の時理系に行かなかった?どうして大学の時転学部しなかった?」「コミュニケーション能力と体力に自信がなかったら、そうして無理やり営業にこだわる?」、単純にコミュニケーション能力を鍛えたいから営業やりたいとの一点張りでは厳しい世界のどこにも通用しない。豊富な経験を有する管理層は往々にして若者を厳しく見ている。「面接中私が見栄え良く見せる為についた小さな嘘を見抜かれた後でも、何も指摘してくれないまま話をはぐらかす、あるいはギュウギュウと追い詰めてくる」それは終わりの兆しだ。
4)終わりに
30回失敗した後、私はようやく自分が何に向いてるのかがわかってきた。小さい頃から理科が文科より好きだ、成績も理科の方が断トツいい。文科を選んだのは理科の宿題を逃げる為だけだった。自分を再認識した後、私の自分の技術魂の存在を証明する為にIT業界に目を向けた。
すると、再出発の1件目の応募で運よく合格した。何より自分の判断は間違ってないと確信した。
振り返って見れば、私の就職は「散々壁にぶつかって自分を再認識して今の自分に適する職場を見つけ出す」過程であった。
その過程は「自分を否定、自分を肯定」といった自己修正力を繰り返し試された試練でもある。
文系にとって、就職は長期戦になる可能性が高い、理想の高い人は、理想と現実の差を十分認識できないのは危険がある。なるべく初期段階で多く面接経験を積んで、自分を再認識、自己修正を重ねることがそのギャップを早く埋める上で重要な行動だと私の経験からみなさんへのアドバイスだ。就職の目標は「内定の数ではないく、自分に最適な場所を見つけ出す」ことだ。
以下中国語翻訳
我的日本就职历程(失败后的教训)
1)背景
先说一下我的求职背景吧。2012年浙江省一所县级重点高中毕业之后毅然决定来日本求学。头两年在东京一所中国人的语言学校学习语言。当时我对就职几乎是没有概念的,想法也比较单纯:考一所好一点的大学,起码回国也能也能有人知道。
当时考虑的两所学校分别是早稻田和横滨国立,为了能从一个成绩平平的高中生成功越位到日本顶尖大学,我也是拼劲全力刷了三次留学生考试(针对留学生的统一大学入学考试),成功将文综和数学刷到了全国20以内。
但是正当我窃窃自喜的时候,突然就来了一个晴天霹雳。留考的日语科目三次都不仅没有刷出好成绩,甚至可以说非常糟糕,除此之外过度偏科,时间分配不均也导致,本来要筹备的托福考试到最后也没有去考。最终还是因为文综和数学优势合格了同志社大学和中央大学(相对门槛不高)
后来我发现几乎80%的知名大学的热门专业都需要提交托福成绩的时候真的是欲哭无泪啊。或许你认为考大学和就业没什么直接关系,但是无可置疑的是一所好的大学绝对会在将来就业的时候给你提供一个更好的平台。毕竟将来企业用电脑程序去刷你的履历书的时候,万一因为学校名不在范围内可能就直接out了。
2)实习
大三上学期夏季到大三下学期冬季(日本学生的实习期),这个时期我开始思考到底是留日还是回国这个问题了,因为毕竟还有一年多就要毕业了,回国还是留日很大程度上都会决定我人生发展的方向。对比一下发展前景和生活环境以及回国后的就职资源以后(其实可以说毫无资源)我还是决定留日了。
现在回想一下,如果在决断上有一丝动摇,也许在面对就职挫折的时候我可能就放弃了,所以回国也无路可走的现实可能是我留日的最大原因的吧。有一点现实所迫的滋味,不过也庆幸这个上天的安排。
好巧当时同年级有另外一位同学也决定在日本就职,所有我俩就结伴收集情报,在大三上学期参加了一个在京都大学举办的些针对留学生的企业合同说明会。也在同说明会中大致了解了一些日本知名企业和就职流程。其中就包括后来要提及的东丽公司。话说回来参加完这次活动之后最大的感受就是不同大学的资源差距真的是相当可怕的呀。
京大的level给了我一记响亮的巴掌,同时作为平平无常的无所作为的私立大学的大学生的自卑和危机感也日益剧增。在这种心理压迫之下,我尝试投机报考了很多大企业的暑期实习,但都是有勇无谋,无果而终。想想也是杀猪还要磨刀呢,什么准备都没有空投简历注定失败啊。但是好事多磨好在经过半年的平复和准备,在大三下学期的冬季通过留学生的就职支援机构报考并成功合格了东丽公司的一周实习机会。虽然在报考实习的过程中绊倒过10多次,但最后一次的收获也颇为惊喜。
3)文科生的你倒是适合做什么
得到东丽公司的实习机会对我来说就像是一剂强心针,把我从自卑和不自信的深渊里解救了出来。但是这次经历并没有给我指出一条明确的求职的道路。7天的实习让我见识到了有近100年历史的深厚的文化底蕴,几经挫折又屹立重生的纤维大手东丽公司的强大。虽然我不是理科生不懂得碳素纤维到底为何强大,但期间两位部长座谈会时比总理更亲切,比老师更有威严的优雅敏锐的讲话方式,深深触动到了我。只有经历过大风大雨的人才能平静的说出那些震慑人心的语言,东丽公司存在者这些我的(偶像)。那一次实习结束之后,我梦想着有一天能够成为站在她们身边,成为东丽的一员。
为了去东丽,为了做尽企业研究和行业研究,我报了近30家化学和纤维大手。应聘过人事,会计,营业。修改了无数次履历书和应聘动机,走到过2面,3面与年轻社员侃侃而谈,但到了终面与那些大人物的对话中我的所谓的理想和热情却显得有些幼稚和无趣。能够得到东丽的实习也许是幸运,因为我早就对东丽有所耳闻,在香港游玩的时候也顺道拜访的他在香港的亚洲统筹公司。这些准备工作为我打开了实习的大门。但是,即使做了那么多企业研究,即使面试是做了各种对策,在新卒採用の第二次面试中,在职业规划以及一些性格能力问题上的回答上还是缺少逻辑性,没有作出一个令人满意的回答。从此就这么失之交臂了。
4) 总结
热情的根源是你对大手和有先进技术的公司的向往。但到底文科生的你到底适合做什么,当时的我没有明确的人生规划。
天真的认为什么都阻挡不了你的热情,殊不知如果你向往技术,认为技术进步才能使人类进步,那么你问什么不读理科呢,如果你不善言谈,没有足够的体力那为什么你要去营业呢。这些最简单最基本的逻辑思维被我轻视忽略了。失败其实也无可厚非。那些有丰富阅历的人往往比年轻人的思想更成熟。我那苍白的履历和幼稚的逻辑在最终面试的面试官那里肯定难逃火眼晶晶。
经过30多次的失败我终于想通了。高中时,理科成绩比文科成绩好,仅仅是想逃避繁重的作业,高三我才选择了想对轻松的文科。但现在看来是一个巨大的错误。我可能还是更适合做一名技术人员。所以我转行去IT了,成功合格了报考的第一家一家IT公司,现在我给自己定下的目标是,3年后变成更出色的自己。
最后我想通过我的经历告诉大家,物尽所用,人尽所长。你一定要在了解自己的长处上找到能发挥自己长处的位置,人事,会计,营业,技术职每一个职位的属性都不尽相同。分析一下你到底适合的是什么职业什么行业,有时候你想做的事情其实并不一定就适合自己。
最后欢迎大家也留下自己的见解,说说你的经历,让我们可以共同进步。