Chn-099 【日本の茶道の歴史①「 お茶のはじまり~日本にお茶が伝わるまで」】
よう
 今日からは日本茶道のシリーズになりますね。私はずっと、お茶が好きにならなくて、勉強しょうと思ったんですが、なかなか始まらなかったですね。今回は記事発信というチャンスを持ちまして、茶道の資料を整えながら、みなさんと一緒に日本の茶道を深めに理解しましょう!

 日本の茶道は全世界で知られていると思います。中国もお茶を消費する国として、長い歴史がありますが、「伝承と保護」の方面は日本に学びべきだと思います。それでは、日本の茶道の歴史をふまえて、日本の茶道及び流派などを説明しましょう!

 お茶や茶道というと、日本の侘び(わび)さび文化の象徴(しょうちょう)とも言える存在ですので、日本で生まれ育ってきたものと思っている人は多いのです。しかし、実は中国から伝わって(つたわって)きたものです。唐の時代の中国は、当時あらゆる文化において最先端(さいせんたん)を行く(ゆく)国として知られていました。そのため、日本からも様々な人達がその文化を学ぶべく、唐へ留学し、それまでの日本にはない新しい文化について学び、日本に持ち帰ってきていたのです。

 その一つがお茶です。

 奈良時代から平安時代(へあんじだい)にかけて、最澄(さいちょう)や空海(くうかい)といった留学僧(そう)が唐でお茶という存在を知り、お茶の種を日本に持ち帰って栽培(さいばい)したのが始まりです。しかし、唐から持ち込まれたのはお茶の文化ではなくお茶の種そのものですので、当時から今の茶道に通じるお茶の文化が育まれた(はぐくまれた)わけではありません。当時のお茶は漢方薬(かんぽうやく)の一種であり、必要な時にお茶の葉を煎じ(せんじ)、薬として飲まれていました。もちろん誰もがお茶を飲めたわけではなく、ごく一部の、限られた階級(かいきゅう)の人のみがお茶の存在を知り、飲まれていました。

 そして鎌倉(かまくら)時代の後半から室町(むろまち)時代の始めにかけて、京都の茶園(ちゃえん)を中心として、全国的にお茶の栽培が行われるようになり、幅広い人達にお茶という存在が知れ渡ったことで、今の茶道に通じるお茶の文化が育成され始めたのです。最澄(さいちょう)や空海(くいかい)と言えば、歴史の教科書の中では天台宗(てんだいしゅう)や真言宗(しんごんしゅう)を開いた人物として紹介されていることがほとんどです。しかし、実は茶道の文化に通じる第一人者でもあったのです。

次の一章は:日本の茶道の歴史② 茶道のはじまり(平安~室町時代)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
Link:http://chadougu.net/rekishi-hajimari/
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  • 0 WoW
よう
 今天开始,我们要更新日本茶道的这个系列。我一直非常喜欢茶,也一直想好好学习,但是始终没能开始。借着这次更新,一边整理日本茶道,也想一边和大家一起更加深入的了解日本茶道。

 日本茶道在全世界都是有名的。中国也是一个茶叶消费大国,有很长历史,但是我觉得中国在传承和保护上应该向日本学习。因此,涵盖日本茶道里是在内,一起来了解日本查到以及流派等等。

日本的「侘・寂」文化可说是茶和茶道象征板的存在。很多人觉得这个文化史在日本土生土长,其实是从中国出来的。唐朝时的中国是以先进文化而闻名。因此,日本就有各种各样的能人,去唐朝留学,在那里学习当时日本没有的文化,然后带回国。

 其中一个带回来的就是茶。

 从奈良时代到平安时代,最澄和空海这两位僧人,在中国留学时知道了茶的存在,并且把茶的种子带回了日本栽培。但是,应为带回去的仅仅是茶的种子而不是茶文化,所以从当时到现在的日本茶道文化,并非是以唐代的茶文化而来。当时的茶还是中药的一种,在必要的时候煎煮茶叶,作为药饮用。当然并不是所有的人都可以喝到茶,仅少的一部分,限定的阶层的人才知道茶的存在和饮用。

 然后到了镰仓时代后期开始室町时代开始前,已京都茶园为中心全国开始了栽培茶叶,通过很多能人传递才形成了如今的茶道。说起最澄和空海,教科书中基本上都介绍说是天台宗和真言宗的开创者。也是打通茶大茶道文化的第一人。

下一张内容:日本茶道历史② 茶道的开始(平安时代〜室町时代)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
Link:http://chadougu.net/rekishi-hajimari/
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  • 0 WoW