皆様、お久しぶりです〜〜
今日はPart 4になります。知っていますか?現在中国語で使っている「电话(=電話)」も日本語から輸入した単語なんですね。私が知る限りでは「電話」はそもそも英語「Telephone」から伝来し、中国人が訳した物は「德律风」でした。全く音訳だし、違和感も結構あります。つまり、使われていません。これ以外にも、中国語ではない単語がまだまだたくさんあります、一緒に見ましょう!
一九一九年「五四」 以後の中国文壇(ぶんだん)の作家(さっか)の多くは日本留学生だった。中国新文学運動の主将である魯迅(ろじん)をはじめ、郭沫若(かくまつじゃく)、郁達夫(いくたっぷ)、田漢(でんかん)、夏衍(かえん)など、たくさんいた。魯迅は大文豪(だいぶんごう)であり、中国新文芸(ぶんげい)のリーダーであった。彼は青年時代、日本に留学し、はじめは東京の弘文学院で日本語を学び、のちに仙台の医学専門学校で医学を勉強した。魯迅は古い中国語ではもう不十分だから、外国語から必要なことばをどんどん取り入れるべきだと強く主張した。彼の作品は、内容から見てもことばから見ても非常に中国的であるが、しかし、彼の文章にも日本語からとり入れたことばが少々ある。
大量の日本語が中国語のなかに入ったことに対し、中国人のなかには、賛成する人もあれば、反対する人もあった。梁啓超は賛成派である。その一方、日本からことばを輸入することに断乎反対する人もいた。例えば、日本留学生彭文祖がその一人である。一九一五年に 『盲滅法な新語』 という本を出版した。
さて、はじめのころは、日本の訳語と厳復(げんふく)らがつくった訳語が共存した。例をあげてみよう。
物理学(日)-格致学(中)
地質学(日)-地学(中)
砿物学(日)-金石学(中)
雑誌(日)-叢報(中)
社会(日)-人群(中)
論理学(日)-名学(中)
原料(日)-天産之物(中)
功利主義(日)-楽利主義(中)
ところが、厳復らの自作新語の大部分は、日本の訳語(やくご)ほど良くなかった。というのは、かれらの訳語は古典から来たものが多くてわかりにくかったため、流行しなかったからである。今では 「経済、社会、写真」 などの日本訳語はもうとっくに現代中国語のなか に住みつき、帰化(きか)している。それが日本からの外来語だということを、ほとんどの中国人はもう知らないのである。
つまり、中国で昔活躍した作家たちによって、中国語に日本語が取り入れられたのですね。自分たちで新しい言葉を作ったりもしてみましたが、使いにくかったようで結局使われなくなりました。
今日はここまでです。また、次回は【あなたが知らない中国語と日本語の秘密!Part 5「日本語の語彙がどれくらい中国語に入っているの?」】お楽しみにしてください〜。
参考:https://goo.gl/1Nqq
今日はPart 4になります。知っていますか?現在中国語で使っている「电话(=電話)」も日本語から輸入した単語なんですね。私が知る限りでは「電話」はそもそも英語「Telephone」から伝来し、中国人が訳した物は「德律风」でした。全く音訳だし、違和感も結構あります。つまり、使われていません。これ以外にも、中国語ではない単語がまだまだたくさんあります、一緒に見ましょう!
一九一九年「五四」 以後の中国文壇(ぶんだん)の作家(さっか)の多くは日本留学生だった。中国新文学運動の主将である魯迅(ろじん)をはじめ、郭沫若(かくまつじゃく)、郁達夫(いくたっぷ)、田漢(でんかん)、夏衍(かえん)など、たくさんいた。魯迅は大文豪(だいぶんごう)であり、中国新文芸(ぶんげい)のリーダーであった。彼は青年時代、日本に留学し、はじめは東京の弘文学院で日本語を学び、のちに仙台の医学専門学校で医学を勉強した。魯迅は古い中国語ではもう不十分だから、外国語から必要なことばをどんどん取り入れるべきだと強く主張した。彼の作品は、内容から見てもことばから見ても非常に中国的であるが、しかし、彼の文章にも日本語からとり入れたことばが少々ある。
大量の日本語が中国語のなかに入ったことに対し、中国人のなかには、賛成する人もあれば、反対する人もあった。梁啓超は賛成派である。その一方、日本からことばを輸入することに断乎反対する人もいた。例えば、日本留学生彭文祖がその一人である。一九一五年に 『盲滅法な新語』 という本を出版した。
さて、はじめのころは、日本の訳語と厳復(げんふく)らがつくった訳語が共存した。例をあげてみよう。
物理学(日)-格致学(中)
地質学(日)-地学(中)
砿物学(日)-金石学(中)
雑誌(日)-叢報(中)
社会(日)-人群(中)
論理学(日)-名学(中)
原料(日)-天産之物(中)
功利主義(日)-楽利主義(中)
ところが、厳復らの自作新語の大部分は、日本の訳語(やくご)ほど良くなかった。というのは、かれらの訳語は古典から来たものが多くてわかりにくかったため、流行しなかったからである。今では 「経済、社会、写真」 などの日本訳語はもうとっくに現代中国語のなか に住みつき、帰化(きか)している。それが日本からの外来語だということを、ほとんどの中国人はもう知らないのである。
つまり、中国で昔活躍した作家たちによって、中国語に日本語が取り入れられたのですね。自分たちで新しい言葉を作ったりもしてみましたが、使いにくかったようで結局使われなくなりました。
今日はここまでです。また、次回は【あなたが知らない中国語と日本語の秘密!Part 5「日本語の語彙がどれくらい中国語に入っているの?」】お楽しみにしてください〜。
参考:https://goo.gl/1Nqq